(読了7分)私は会社勤めをしていますが、評価者として毎回思うのが、このエントリのタイトルにあるように、こちらが期待している100の成果(期待に関しても下記に触れています)に対して、
- Aさん:定時で110の成果を出している
- Bさん:(自主)残業をして120の成果を出している
の2人がいる場合(というか実際にいるのですが)の評価についてです。
相対評価である以上こうせざるを得ないけれど、これでいいのか、、という思いを書きました。最初にお断りをしておきたいのですが、何か結論めいたものはありません。すいません。
実際にはもっと多くの被評価者が存在しますが、ただでさえ複雑な話を少しでも簡略化するために、便宜的にこの2人に対して、とします。
会社員の評価方法は
評価の方法としては主に
- 絶対評価:一定以上の基準をクリアすれば、クリアした全員が定められた評価を得ることができる。例えば資格試験(80点以上取得した人は全員が一級、70点以上取得した人は全員が二級、など)
- 相対評価:社員の上位10%をA評価、20%をB評価、、というように評価を割り振る。例えば入学試験(80点以上を取得しても他の多くの受験生が81点以上だった場合には「相対的に」低い点数ということになり合格できない)
の2つがありますが、多くの組織において2.の相対評価が主流ではないかと思います。ちなみに私が働いている会社でも2.の相対評価の仕組みを採用しています。
相対評価を5段階にするか、もっと細かく分けるかというのも各社によって異なりますが、今は全社の中で各部門ごと/部署ごとに、A~E評価の5段階で在籍している社員を評価するという仕組みになっています。
- Aは極めて優れた業績を残した
- Bは優れた業績を残した
- Cは期待通り
というような評価ですね。
ちなみにD/E評価については必ずしもその評価を誰かに付けなければいけないわけではなく、現実的にはC評価がボリュームゾーンとなります。
全員にAもしくは全員にBを付けられないため、このエントリのタイトルにあるような2人に対しても評価を分けなければならない状態です。
そもそも評価は難しい
そもそも評価する・されるということは非常に難しいことです。
定量的に計測できる成果物100%で成り立っている業務であれば、まだ難易度は低くなりますが(それでも、昨年/昨季に比べてどれくらい成長したのか、他の人の絶対量・伸び率とのバランスはどうか、など難しくさせる要因がいくつもあります)、成果物が定性的な側面を多く持つものですと、一挙に難しくなります。
上記の評価の例で挙げた
- C期待通り
にしても、「何をもって期待とするか」というところも、期初に評価者・被評価者の間での目標のすり合わせなどを行うにしろ難しいですよね。
評価の難しさについてはこのエントリの主題ではないのでここではこれくらいにしておきますが、また考えてみたいと思います。
相対評価の中で
成果が定性的である場合には、それが100なのか110なのかを判断するのはそもそも難しいですが、ここではまたしても便宜的に、Aさんの成果を110、Bさんの成果を120と計測できたとします(そして第三者も、当事者もその数字に納得しているものとします)。
- Aさん:定時で110の成果を出している
- Bさん:(自主)残業をして120の成果を出している
ここでのポイントは、
- 二人とも期待値を超えている
- 相対評価であるため評価に差を付けなければならない
という2点です。
もちろん2.に関して、「2人ともAかBの高い評価にしたい」という思いがあるのですが、会社全体の中での相対評価の仕組みの都合上(また現実にはもっと多くの被評価者がいることもあり)、差をつけなければいけません。
(自主)残業をして・・ってどういうこと?
ここまでお読みいただいた方には、Bさんの
(自主)残業をして・・
という点が引っかかる方もいらっしゃるかと思います。
Aさんはお子さんがいらっしゃって送り迎えをしており、またご両親の介護の問題などもあり、仮に残業をしたいと思ってもできないという状態です。
そのため、限られた時間内(定時なので、それがそもそも正しいのですが)に高いスキルおよび業務遂行能力で、こちらが期待している100を超える110の成果を挙げています。
量(時間)という変数が所与のものであるため、質でカバーしているということですね。
一方Bさんはまだ若く、自身に経験やスキルが足りていないことを自覚しており、また足りていない質の部分を量(時間)でカバーすることができる状態で、その量の投入により質の向上も図っている段階です。
「自分の勉強なので」「自分ができていないことなので、もっとやりたいので」というように、定時を越えても業務をされていることが多いです(みなし残業の○時間以内を超えることはほとんどないですが、ある場合にはもちろん残業を付けてもらっています)。
成長に対してとても貪欲で、週末もセミナーなり勉強会なりに参加しているような人です。
高い評価を得るのは?
仕事は成果で評価するべき、ということはお題目にしてはならず、できるだけ主観を排除し、客観的に成果を測って評価しなければいけません。
もし、
- Aさん:定時で110の成果を出している
- Bさん:(自主)残業をして100の成果を出している
であれば話は簡単で、高い評価を得るのがAさんになるのは衆目の一致するところだと思いますが、今回のエントリのタイトルのケース
- Aさん:定時で110の成果を出している
- Bさん:(自主)残業をして120の成果を出している
であれば、高い評価を得るのはBさんになるのではないでしょうか。
残業が過度ではないというのがもちろん前提条件になりますが、質を量でカバーし、結果として高い成果を上げているからです。
そして私が思う「これでいいのだろうか」という冒頭の疑問というか思いは、まさにここにあります。
質を量でカバーする人に勝つのはとても大変
Aさんは自身の事情により長い時間を業務に当てることができません。出社時間が9時から5時で、1時間の休憩時間がある場合には、実働時間は7時間となります。
一方Bさんのように長く働くことを厭わない人が、9時から7時まで実働9時間を働いた場合には、Aさんとの実働時間の単純比較は9/7=1.29となり、およそ30%の差が生まれるということになります。
長時間労働をすると当然のことながら効率は落ちていきますが、それにしても30%というのは非常に大きい差です。
労働の成果を、量(時間)x 質という式で表せるとした場合、AさんがBさんよりも高い成果を上げるには、質を30%以上高めなければいけません。これは非常に難しいことです。
長時間労働がもたらす痛ましい出来事は後を絶ちませんが、一方でBさんのように自主的に長い時間働くことを厭わない(むしろ積極的であるとも言える)人もおり、そういう人と相対評価の中で競わなければならないというのは、控えめに言っても非常に大変です。
私が思っていること
結論めいたものは無いのですが、この例ではAさんは前述のように長く働けない事情がある中で、Aさんなりに高い評価を得るに値する成果を出しています。限られた時間の中で、集中して高い成果を出すという優れたパフォーマーです。
しかしそのAさんがBさんと比較される環境にあっては、評価が劣ってしまうということに関して、それでいいのだろうか、と思います。
しかし一方Bさんも、だらだらと残業をしているわけではなく、自身の質が劣っていることを認識した上でそれをカバーすべく時間という量を投入しており、定時内に終わらせることはできていないですが、見なし残業制の下で(決められた範囲の中で)出来る限りのことをしています。
そして結果としてAさんより高い成果を出しています。
働き方が多様化していく中で、いろいろな働き方を選べる社会であるというのは望ましいことです。
その中にあって、評価というのはより難しくなっていくなという思いを、書いてみました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今後もいろいろなエントリを書いていきますので、ぜひ読者登録をお願いします。