黄色いノート

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共謀罪かテロ等準備罪か。強行採決か否か。中立を装うメディアとステマの違いは何だろう

6月15日午前に与党などによる賛成多数で可決、成立した「改正組織的犯罪処罰法」。

このエントリではこの法に対する賛否についてではなく、いかにメディア(ここでは新聞大手5紙を対象にしています)が中立を装って自社の立場に読者を誘引しようとしているか、報道の仕方によって読者に与える影響がまったく異なることについて書きます。

事実だけを伝えるのであれば理屈上は巨大な通信社が1つあればいいはずですが、各紙はその事実に各紙の立場からコメントやその他の事実を付け加えて記事にしています。

それはもちろんよいのですが、私が嫌悪感を覚えるのは「中立を装いながら、言葉遣いや選択する事実(報道する自由もあれば報道しない自由もあると言わんばかり)を操って読者を特定の方向(自紙が望む方向)に誘引しようとしている」ことです。

それってステマ(ステルスマーケティング。消費者に宣伝と気付かれないように宣伝を行ない、消費者に自社に有利な選択をさせること)と同じでは。

新聞大手5紙と言えば発行部数順に読売・朝日・毎日・日経・産経となりますが、それぞれを意識的に読み比べると、この法に対するスタンスに限らず

  • 親安倍政権の読売・産経新聞
  • 反安部政権の朝日・毎日新聞

ということが分かります(日経新聞は他4紙と比較するとまだ親・反の色が薄いように思います)。

しかし各紙は「中立な立場ですよ」というスタンスを崩さずに報道していますので、各紙の報道を見ていきます。

大手5紙の見出し、そもそも「共謀罪」か「テロ等準備罪」か

「改正組織的犯罪処罰法」は長い言葉ですし一般人にとって分かりにくいため、読者に伝わりやすくするためにはよりキャッチーな言葉が必要です。

しかしそもそもキャッチフレーズを「共謀罪」とするか「テロ等準備罪」とするかの違いだけでも、受け手の印象は変わります。

「共謀罪」であれば(謀るという文字は謀略の謀でもあり、単語としてのイメージはそれほどよくありませんが)「人と相談(共謀)するだけで罪になるのか?」と読者に思わせて法案に反対する立場を取らせることがしやすいでしょうし、「テロ等準備罪」であれば「テロを準備したら罪に問われるべきなのでこの法は必要だ」と思わせて法案に賛成の立場を取られることがしやすいでしょう。

法案を全てきちんと読み込む人はごくごく少ないため、どのようなキャッチフレーズを選択するかはとても重要な意味を持ちます。

各紙の報道内容を見てみると、以下のようになります。

親安倍政権

読売新聞
見出し:テロ準備罪法が成立…自・公・維などの賛成多数
本文:テロ等準備罪の創設を柱とした改正組織犯罪処罰法は・・・

産経新聞
見出し:「テロ等準備罪」法が成立
本文:共謀罪の構成要件を厳格化した「テロ等準備罪」を新設する改正組織犯罪処罰法は・・・

反安部政権

朝日新聞

見出し:「共謀罪」法が成立 与党が参院本会議で採決強行
本文:犯罪を計画段階から処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織的犯罪処罰法が・・・

毎日新聞

見出し:共謀罪 賛成多数で成立
本文:「共謀罪」の構成要件を改めて「テロ等準備罪」を新設する改正組織犯罪処罰法が・・・

このように、見事に親安部政権である読売・産経は「テロ準備罪法」という言葉を用い、反安部政権である朝日・毎日は「共謀罪」という言葉を使っています。

ちなみに日経新聞は「共謀罪」とするものの、次の項で触れる「強行採決」という表現は使わない

見出し:「共謀罪」法が成立
本文:犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の構成要件を改め「テロ等準備罪」を新設する改正組織犯罪処罰法が・・・

という表記でした。

採決に関する表現「強行採決」

読売新聞・産経新聞からすれば、議論を尽くしかつ正当な手段で採決に至ったという立場なので、表現は「自民、公明両党と日本維新の会などの賛成多数で可決され、成立した」となります。

一方朝日新聞・毎日新聞からすれば、議論が十分尽くされていない中で与党が採決を力で押し切ったという立場なので、表現は「与党が参院本会議で採決強行(朝日新聞)」「徹夜攻防、最後は数(毎日新聞)」となります。

採決をどう表現するか、強行(もしくは数にものを言わせたという表現)という言葉を使うかどうかも、読者に与える印象を大きく変えます。

強行というのはネガティブな言葉ですよね。数にものを言わせたというのももちろんネガティブな表現です(その「数」である議員は、公正な選挙で選ばれているのですが、それは置いておきます)。

強行採決という言葉が使われていない場合には、特に違和感無く「成立したんだ」というぐらいにしか思わないところが、「強行採決」という言葉を使った途端「議論が尽くされず、反対意見がある中で無理やり成立させた」というように思う読者が多いと思います。

強行・数という言葉を使っていない読売・産経が「採決に問題は無かった」と読者に思わせたく、一方この言葉を使った朝日・毎日が「採決は問題があった」と読者に思わせたいということがよく分かります。

各紙の表現をまとめると次のような図になり、各紙の立場が明確になります。

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アメリカの新聞はスタンスが明確

別にアメリカがエライというつもりは毛頭ないのですが、前回のアメリカ大統領選挙の際にエントリを書いたのでそちらを参考にしつつ。

アメリカでは多くの新聞が誰を支持しているか、支持していないかを明確にしています。その方が読者に喜ばれるということもきっとあるのだと思いますが、USCB(カリフォルニア大学サンタバーバラ校)がどの新聞がいつ誰の支持/不支持を表明していたのかをまとめており、それによると

アメリカ大統領選挙ではトップ100の新聞社のうち実に57社がヒラリー・クリントン支持を打ち出した一方、ドナルド・トランプ支持はわずか2社(そしてトランプ不支持が3社)

という結果になっていました(そしてそれにもかかわらず、ドナルド・トランプが大統領に就任したわけですが)。

詳しくはこちらのエントリにありますので、ご興味のある方はどうぞ。

www.yellowpadblog.com

最後に

私はマスメディアが中立になれるとは思っていませんが、それにしても「中立のように見せかけて読者を誘導しようとしている」というのがとても嫌です。

「この新聞は親自民党政権です。親安部政権です。この新聞はそのスタンスで書かれているので、読者の方ご自身で内容を精査してください」というようにスタンスを明示されている方が、読み手はその内容を割引いて考えることができるので少しは健全だと思います。

「少しは」と書いたのは、新聞はどの事実を記事として報道するかを選択できる一方、どの事実を報道しない(もしくは扱いを小さくする)かも選択できるため、一紙だけ読んで内容を精査し、考えたとしてもそこには読み手からは見えない事実がある可能性が大きいからです。

かといって一般の読者には新聞5紙を読み込むことはできないため、スタンスの明示により少しだけでも健全になるのが望ましいと思っています。

自紙の立場を明示せず、意図的に選択した記事や言葉遣いで読者を望む方向に誘導していくのは、冒頭にも少し触れましたがステマと何が違うのでしょう。

ステマが嫌がられる(そして過度な場合は景表法違反となる)のは、「中立な第三者(すなわち信頼できる)と思っていた人物・機関が作成したコンテンツが、実は広告主からの報酬を受けた上で消費者を広告主に有利なように誘導しようとしているコンテンツ」であるからです。

新聞読者には、その新聞が中立であると考えている人・中立であると期待している人がまだまだ多いと思いますが、それらの読者に対するステマと考えることもできるのではないかと思います。

違いは、ステマにはそのコンテンツの背後に広告主の存在があり、新聞のコンテンツ(記事)には直接的な広告主の存在が無い(その代わりに自紙が大義と考える主張、もしくは時の政権からの圧力?がある)ことですね。

誰もがネットでニュースを読んでいますが、実はそのニュースは知らず知らずのうちにパーソナライズされていて、自分が読みたい記事ばかりが目に触れてそればかりを読んでしまう(しかも読みではそれに気付いていない)という現在のネットメディアのあり方も健全だとは思えませんが、旧来のメディアが「中立」を装って読み手を誘導しようとすることも健全であるとは思えません。

中立的な視点、もしくは中立に近い始点というものが難しいということを改めて思いました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

今後もいろいろなエントリを書いていきますので、ぜひお気軽にTwitterのフォローや読者登録をお願いします。